ベッドルームからこんにちは

はてなブログでの執筆活動は終了しました。現在はnoteにてエッセイ・コラムを書いています。が、せっかくなのではてなは買い物メモ用に活用します〜笑🙆 Twitter @wataseshiano BY 綿生しあの

地震

こういった体験は書き残しておいた方が自分のためになると思うのでそうしようと思う。

 

朝一番、突き上げるような揺れにた叩き起こされた。何がなんだかわけがわからないまま、これは地震だと思い、体に絡み付いた布団を引き剥がした。眠りの世界と突然の現実とが混濁して意味がわからなかった。

「怖い!怖い!」
心の中で叫んでいたと思うけど、言葉にはなっていなかったと思う。地震と分かったところで自分にできることなどほとんど無く、部屋の扉を開けた後はベットの上に膝立ちになりオロオロしていた。しばらくして揺れが止んで、ああよかったと思い、
「お母さ-ん!お母さ-ん!」
と母を呼んだ。私はすっかり子供に戻ってしまった。

程無くして母がやってきて、部屋の大窓を開けてくれた。母は何事もなさそうだと判断して、
「ちょっとテレビを見てくるね」
と立ち去った。私はやっと頭が冴えてきて、そうかテレビは見ればいいのかと思い、NHKにチャンネルを合わせた。震源は大阪北部で最大震度6弱。私の住むところは震度5強だったようだ。何か倒れなかったかなと部屋中を見まわしたけれど、何も倒れていなかった。ベッドの足元の延長線上には幅1m✕高さ2mほどの本棚があり、これが倒れてきたらと思うとゾッとした。スマホの電池がほとんどないことに気づき、慌てて緊急長持ちモードに切り替えた。充電器をスマホに挿し、もしも電気が止まったら…と不安な気持ちになった。

他のみんなは大丈夫かとTwitterにログインした。ひとまず自分の無事を書き込んだ。フォローしている人達は大きな被害には遭っていないようでほっとした。しばらくTwitterのタイムラインをたぐっていると、震源地に近いところに住んでいる人たちのことを思い出した。大学時代、同級生や後輩には北大阪の人がたくさんいた。顔見知り程度の人ばかりで、連絡先も知らないし、わざわざ連絡するのも過剰な反応かなあと思った。一部の人たちにだけグループLINEを送って、あとはFacebookInstagramを見たけれど、特に何の書き込みもなかった。何事もないからなのか、何かあるからなのか、分からないなあと思った。分からないけど、前者でありますようにとも思った。

テレビに映る光景を眺めたり、Twitterの様々な拡散情報を見ているうちにだんだんと不安になり、私はいざという時にもう一人では逃げられないのだと改めてしっかりと感じた。もしも避難することになったらどうしよう。車椅子で避難できるのだろうか。押してくれる家族は絶対に無事だろうか。もしも歩くことになったら、きっと這うようにすれば歩けなくはないけれど、全身の痛みで取り返しのつかない事になってしまう。これまでの治療や休息も水の泡だし、病気の症状はすごい勢いで悪化するだろう。ふわふわの寝具の上にしか寝られないから、避難所の硬い板張りの床で寝ることになったら痛みと苦しみで気が狂ってしまうかもしれない。障害者手帳は申請中だから持っていないし、病院などに搬送してもらうことはできるのだろうか。床が怖い。頭の中に体育館の冷たいフローリングの映像がじーっと浮かんで離れなかった。不安がどんどん膨らんでいく。
 
怖くなって母を何度も呼んだ。
「お母さ-ん!お母さ-ん!」
どれだけ大きな声を出しても、母はどこにいるのか聞こえないらしく、私は仕方なく諦めた。

障害者が避難するにはどうすればいいんだろう。Googleで「障害者 避難」などと検索して、具体的な情報が掲載されているサイトを見つけ、Twitterでシェアをした。自分も怖くて仕方ないくせに、人の役に立ちたいという欲求があった。今の私にできることはこれぐらいしかない。実際何か役に立っているとは思いにくかったけど、投稿がリツイートされると嬉しかった。

そうこうしているうちに母が朝ごはんを運んで来てくれた。いつも通りの、何も変わらない朝ごはんだった。白いご飯に梅海苔と少しの野菜、フルーツとヨーグルトとナッツ。突然いつもの朝がやってきたみたいだった。今が何時かもわからなかった。まだ8時台。いつも9時に起きるから、睡眠リズムごと調子が狂ってしまっていた。母が朝食を食べに立ち去ったので、テレビやスマホを消し、もそもそといつもの朝ごはんを食べた。いつもと変わらないものが目の前にあって、それを行っている自分がいて、少しだけ緊張が和らいだ。

その日は一日中、地震のことを考えていた。本棚の威圧感が怖くて、楽天市場のあす楽対応のお店で耐震用の突っ張り棒を購入した。高いところにある物を降ろしてもらった。ベッドの位置をずらしてもらった。自分では何もできなかった。ただお願いして見守るだけだった。自分は過剰な反応しているのだろうかと心がざわざわした。それでもTwitterではやるべき防災の情報がどんどん飛び込んできた。過去の体験談を読むと怖かった。私にできることはせいぜいTwitterで情報を発信することだけだった。誰かを助けたかったからなのか、自分の心のためだったのか、その両方だったのか。「自分の意思に則って物理的に何かをする」ということができないとこんなにも不安になるのか。体に障害を負うとこんな思いもしなくてはいけないのか。

これではいけないと思ってお笑いを見た。土曜日のゴッドタンの見逃し配信で、「本郷杏奈お前は何ならできるんだ?」という企画だったけど、最終的にはモンスターアイドルの谷桃子さんが全てを持って行っていた。谷桃子さんの相変わらずの全力っぷりに私は声を出して爆笑した。本当に面白かった。今日この日だからというわけではなく、単純に本当に面白かった。いつの収録だか分からないけれど、時間を越えて、エリアを越えて、こうしてこの日この時に届いてくれて本当にありがたいことだと感じた。笑わせてくれてありがとう。大好きな番組があって、それをいつでも見られるよう、いつでも笑えるよう、環境を整えておいて良かったと思った。

この日の夜、本来であればいわゆる「住民は不安な夜を過ごした」という状態になりかねなかったけど、Twitterではギャグ漫画家の藤岡拓太郎さん主催の大喜利大会が始まっていて、私は夢中で面白い事を妄想した。大喜利の参加者はみんな大喜利リテラシーが高くて、爆笑しながらひたすらに感銘を受けた。私は昔から大喜利が苦手でそれがコンプレックスだったけど、みんなでワイワイお題に答えていくのは楽しかった。なんて粋な計らいなんだろうと思った。私のような人はきっとたくさんいたと思う。

一日中緊張することが多かったので、その日は両腕が痛かった。余震が来るたびに指先までびりびり痺れた。感覚の余韻が残るのか、腕全体が細かく裂けるように痛かった。痛みでスマホが触れない時も、両手を休めながら目を閉じて面白いことを想像していると腕のことはあまり気にならなかった。何度も声を出して笑って、そのままうっすらと眠くなっていき、特に何の問題もなく眠ることができた。残念ながら深夜に余震で起こされてしまったけど、その後は明け方までぐっすりと眠ることができた。

朝もまた地震の揺れで目が覚めた。胸がどきどきして、相変わらず指先までじんと痺れた。だけど昨日よりも小さな揺れだったので、もう大丈夫なのかなと気が緩んだ。だけど気が緩むこと自体も良くないことみたいだし、私は一体どう過ごせば良いのだろう。普通に過ごすことが難しい。

いつも朝ドラの「半分、青い」を見ながら朝ごはんを食べているのだけど、この日は前日地震で放送できなかった回と2回連続での放送だった。いつもよりゆっくりご飯を食べた。30分の贅沢な時間だった。テレビ画面の上部と左側には地震速報用の枠がついていて、ドラマはいつもより小さいサイズで右下に映し出されていた。物語に集中している時は枠のことは気にならなくて、だけどふとした瞬間にチラチラと地震の情報を目で追ってしまった。ファンタジーと現実の世界がひとつの場所に映し出されていた。すずめちゃんは相変わらず可愛くて、秋風先生は相変わらず変な人だった。こんな時だからこそファンタジーの世界が大切なんだと思った。昔、私は実話に即したような映画や物語が好きだった。だけど、ゼロから作り出すお話だからこそできることがたくさんあるんだなあと思った。

自分にも小説や脚本が書けたらなあと思うけど、目を閉じていても素敵な物語はちっとも浮かんでこない。私に書けるのは自分の体験やその時に感じたことくらいしかない。毎日、書こうとしている「闘病記」のことを考える。発病から今までを綴ったら、私の人生や過去を含めて綴ったら、どれくらいの人が読んでくれるだろう。誰かの為になるのだろうか。私はあんまり自分のために何かを書きたいという想いを持たなくなってしまっていて、誰かのために書くのであれば、その人が読みたいと思う文章を書きたいと考えている。

闘病記ってきっとすごく繊細なジャンルのもので、難しい病気であればあるほど、誰かがそれを書くことで、もしくはその書き方次第で、人の気分を害したり、その人の立場を危うくしたりしてしまうものだと思う。私はそこまでの責任を負って文章を書く勇気があるのかと問われれば、ありますと答えるのだけれど、かといって何もかもあけすけに書く勇気があるかどうかはまだわからない。だけど書くからにはいいものを書きたいし、自分をごまかしたくはない。書くからには笑えるものがいいのだろうか。一番自分の文章を届けたいのは、同じ病気や似たような環境に苦しむ人たちで、そんな人達にはやっぱり笑ってほしいと思うのだけど、ユーモアを交えた書き方をするとそれを不謹慎だと言う人もいるだろうし、もしくは単純に私の笑いのセンスと合わないかもしれないし、一体何が正解なのか分からないまま悶々としている。

過去を振り返るのは苦しい作業だ。病気となれば尚更のことで、これまでにあった様々な出来事をわざわざ掘り起こして、そこに自分の想いを書き添えて、時には悲しみを追体験して、そこまで出来る覚悟がついた時に私はやっと「闘病記」というやつを書けるのかもしれない。書くからには絶対に出版にこぎつけたいし、多くの人に読んでほしい。こんな病気があるのだと知ってもらうことで、誰かの役に立てるのだと信じたい。


23時4分。
地震があった次の日の夜。

今の想いはこんなところです、
未来の自分へ。