ベッドルームからこんにちは

はてなブログでの執筆活動は終了しました。現在はnoteにてエッセイ・コラムを書いています。が、せっかくなのではてなは買い物メモ用に活用します〜笑🙆 Twitter @wataseshiano BY 綿生しあの

薄靄 Vol.1

Twitter には時折、その時考えていることや疑問などを書いてみたりする。

とはいえ、たった140文字で自分の悶々とした感情を正確に説明できるはずないとわかりきっている。だから私はできる限りの柔らかい言葉を選び、いくつかの絵文字を添え、「ほら、私には悪意などひとつもありませんよ」とビジュアルで示している。

別にそれ自体は悪いことではないと思う。これもまた私の中の一つの性格であり、コミュニケ-ションのやり方である。

 

とはいえなんだか疲れてしまった。

 

肩身が狭いというか、何というか。私は誰に気を遣っていて、何と戦っているのだろう。そもそも私の文章の持ち味は一体何なのだろう。

今日どこかのブログで読んだ文章にこんなことが書かれていた。「Twitterの140字に無理矢理ことばを押し込めるのではなく、ブログの文字容量で、Twitter的な思考のウダウダを書いてみるのもアリかもしれない」

いうわけで、私もその方法で書いてみようと思う。こういうのは結構得意だ。人間は考えることをやめられないのだから。これって結構な呪いだと思っている。

 

人間に課せられた呪い、それは思考だ。

 

 

 

 

今週の「半分、青い」(朝ドラ)は、裕子ちゃんの一連の話が印象的だった。

 

観ていない人のために説明すると、裕子ちゃんとは主人公の親友であり同僚であり漫画家仲間である。この裕子ちゃんは、一流の少女漫画家の元でのアシスタント生活を経て無事に漫画家デビューを果たしたのだが、数年の時を経て思うように作品が書けなくなる。雑誌での連載も打ち切られ、自暴自棄になり、最終的には廃業を決意したのだった。 

 

廃業の先にあったのは結婚。

お金持ちの男性が見つかったのだという。

 

すずめちゃん(主人公)と裕子ちゃんがデビュー間もない頃。二人で徹夜して、想像の海に飛び込んで、真っ白な紙に描いた何十枚もの絵を床に散らばせて、体ごと飛び込んだシーンが好きだった。裕子ちゃんは創作ゾーンに入っていて、「海の色は緑色」(うろ覚え)みたいなことを言っていた。

 

夜が明けて、朝日が差し込む窓辺に腰掛けた二人は笑っていた。この日、二人は真に心を通わせたのだ思った。すずめちゃんは、故郷の岐阜では出会わなかった種類の、同類の、それでいて盟友と出会えたのだと思った。本当の友達ができてよかったなぁと思った。

 

だけど裕子ちゃんは辞めてしまった。

 

創作の道を諦めてしまった。そして裕子ちゃんは結婚した。花嫁姿は綺麗だった。白いベールを光が通り抜けていた。裕子ちゃんが漫画の道を諦めようが結婚しようが、そんなことは彼女の勝手だ。なのでそのこと自体に何も思うことはないのだけど、なんだろう、なんだか私はとても不安になった。

 

要するにこういうことだ。

「自分も裕子ちゃんなんじゃないか」

 

私はよく、自分が文章を書いている理由がよく分からなくなる。自分のために書くということはもうほとんどなくなっていて、誰かに笑ってもらおうとか、楽しんでもらおうとか、その上で少しでも病気のことを知ってもらえたらとか、そんな理由で書いている。

動機は人それぞれあるからいいとして、私にすずめちゃんほどの情熱があるんだろうか。全く自信がない。

例えば「結婚」という新たな居場所が現れた時、私はそれでも書き続けようと思うのだろうか。結局のところ、私もただこの居場所のない日々をどうにか変えたくて、そのための手段として書くことを選んでるだけなんじゃないだろうか。そんな思いがして不安になってくる。

もちろん文章を書くのは好きだけど。楽しいけど。そして苦しい。

 

今、私は、苦しい。

 

裕子ちゃんが漫画を書くことを続けようが続けなかろうが、そんなことは彼女の勝手であるのと同じように、私がどんな理由で文章を書こうが、そんなことは(少なくとも今の時点では)人には関係ないし、中身が面白ければそれでいい。

こんなことを書いたり考えたりしていてもしょうがない。だけどたまにはこんなどうしようもないモヤモヤを書くことで、こんな自分本位な行動を取ることで、私の中の何かを動かすきっかけになればいいと思う。

 

だからこうして書いている。

 

 

地震はすっかりどこかに行ったと思っていたけど、さっきまた少しだけ揺れた。

ベッドの上のぬいぐるみたちがあっちやこっちを向いて倒れている。ぬいぐるみたちは究極に柔らかい。固いものを一切受け付けなくなった私の肌や体にも優しく寄り添ってくれる。

 

外にはもう二ヶ月出ていないらしい。

 

月日が経つのが早いのか遅いのか分からない。普通の人たちは、この暮らしの中で私が感じていることも考えていることも、少しも分かりはしないだろう。

私が「外出にこだわることをやめた」と言うと、人は一瞬だけ変な顔をする。それは普通の人たちにとって外に出ることがあまりにも普通のことだから。それなくして生きることを想定していないから。だから私が「普通」をやりたがらない、やることをやめた、と言うと、違和感を覚えるのだろう。諦めのようにも聞こえるかもしれない。

 

痛々しく聞こえるだろうけど、私は本当に外の世界にこだわることをやめたのだ。慣れてしまえばこんなもの。私の世界は部屋とトイレとお風呂だけ。道路や家並みはみんなテレビの中。監獄の中もこんな感じなんだろうか。

 外の世界よりも監獄の方が居心地いいと言う人もいるらしい。そのために犯罪を起こされても困るけど、気持ちはわかる。

 

外にいることの喜びが2パーセントで、

あとの98%は苦痛なのだ。

 

だったら100%、何の苦しみもない家の中にいた方がよっぽど良い。というか、家の中は案外楽しい。見どころも満載だ。

こんなことを書いていたらだんだん私は「本当は外に出たい」のに、嘘を言ったり卑屈になったりしているだけなののかも、という気がしてきた。自分でも自分の気持ちがよくわからない。

だけど身体が痛いのだけは嫌なんだ。だから無理に私を外に引きずり出そうとしないで欲しい。みんなには分からないのは仕方がない。 

 

体の痛みは心の痛みより分かりにくい。

心の痛みも体の痛みより分かりにくいけど。

 

夜は良くない。だいたい文章が暗くなる。文章が暗いことで悩んでいる人は朝に執筆活動を試してみればいいと思う。自分もそうしてみようかと思う。問題はスイッチが入らないことだ。カラスのモノマネでもしてたら楽しくなってくるかなぁ。

 

 

いろいろ思うままに書いてみて、これはこれでアリと思った。こういった類の文章は「薄靄(うすもや)」と名付けて、定期的に書こうと思う。

少しくらいパーソナルな場所にしてもいいじゃないか。今日のは、まずは、Vol. 1。

どうぞよろしくお願いします。