ベッドルームからこんにちは

はてなブログでの執筆活動は終了しました。現在はnoteにてエッセイ・コラムを書いています。が、せっかくなのではてなは買い物メモ用に活用します〜笑🙆 Twitter @wataseshiano BY 綿生しあの

むきだしの心

本当はもっとむきだしの心でいたいのに、むき出しでいられなくなってしまったことに気づいた。

 

文章を書こうとしても、心の周りに二重三重のガムテープが巻いてあって、奥底で思っていることも本当に言いたいことも出てこなくなってしまった。

 

表現をする人になりたいなら、むきだしでいなくちゃならないのに。

 

仕方のないことだけど、私の毎日には新鮮な何かが全くない。私の世界はTwitterのタイムラインとテレビ、あとは窓の外に見えるわずかな空、ただそれだけだ。

 

もちろん刺激もない。誰かを傷つけるのがいやで、尖るのをやめようと思ったら、感性までもどんどん鈍ってきてしまった。

 


自分が自分じゃないようで、カプセルにでも入れられたようで、もどかしくて苦しくて、悔しい。

 


花柄ランタンという人たちの曲を聴いた。

 

いつも日曜日はNHKのど自慢を観ながらお昼を食べることに決めているのに、今日はそれよりも彼らの音楽が聴きたかった。

 

四等分された焼きたての食パンと、冷たいコーンスープ。

 

バターの沁み込んだパンを齧りながらスピーカーに耳を傾けていると、目からはボロボロと涙が溢れてきて、これが何なのか分からないけど、きっと感動なのだと思った。

 

「君は愛の戦士だ!」

 

振り返れば私はずっと長いこと、こんな感覚になることもなかった。

 

病気にありとあらゆるものを奪われたけど、肉体的なこととか健康的なこととか、そういうことではなくて、心の在り方さえも変えられてしまったのだと思うと、切なくて切なくて堪らなかった。

 

それでもパンはパリパリと美味しくて、生活のにおいのする音楽に自分の生活が混ざり合っていって、なんだかわけがわからないけど嬉しくて涙が止まらなかった。

 

こんな気持ちにさせてもらえたことが嬉しくて、いつかライブに行けたらいいな、と、今はまだ夢のようなことを思った。

 


「奇病日記」を書くにあたり、どんなふうに書けばいいのか分からなくて毎日悩んでいる。

 

内容は重くて苦しいし、そもそも今さら思い出したくもないし、なんでこんなことをしてるのか自分でも分からないけど、やると決めたからにはやるし、目標のためにはやらねばならない。

 

表現ってなんだろう。奇病日記はもしかすると「表現」とは違っているのかもしれない。むしろレポートのような実録のような。書く人は私じゃなくてもいいような。

 

 

面白い文章ってきっと、もっともっとむきだしなんだと思う。聴衆の前で素っ裸になるような、そんな覚悟がないといけない。

 

私ももっとむきだしでいられるよう、まずは最初の足がかりとして、ここでむきだしになってみた。

 

 

私も誰かの心を動かせますように。

 


花柄ランタン「生成りのこころ」Music Video

 


花柄ランタン「やわらかパンクス」MusicVideo